アシックスといえば、オリンピック東京2020年ゴールドパートナー
「東京2020ゴールドパートナー」は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を含む6年間におよぶオリンピック・パラリンピックの日本代表選手団に関するもので、東京2020スポンサーシッププログラムにおける国内最高位のスポンサーです。
当社はこれまで、第25回オリンピック競技大会(1992/バルセロナ)のオフィシャルシューズスポンサーや、第20回オリンピック冬季競技大会(2006/トリノ)のオフィシャルスポンサーをつとめました。また、その他のオリンピック・パラリンピック競技大会においても、選手や各競技団体へシューズやウエアを提供するなど、各国の代表選手団をサポートしてきました。
日本発祥のスポーツ用品メーカーとして、製品・サービスの提供を通じて自国開催である東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が世界に誇れるものとなるよう貢献していきます。
アシックス プレスリリースより
プーマを超えたアシックス
スポーツ用品が、業界世界3位の「プーマ超え」を射程内にとらえた。1位の米ナイキ、2位の独アディダスには及ばないが、勢いは増すばかり。その強さ、なぜ?
世界のスポーツ用品業界は「2強プラス1」が続いてきた。売上高3兆円を超えるナイキと、2兆円近いアディダスに、4千億円の独プーマという構図だ。
そこに、アシックスが割って入ろうとしている。2015年12月期でめざす売上高は4230億円。10年前の約3倍で、ここ数年のプーマを上回る数字だ。
「14年12月期は全地域での増収を達成した。北米はまだ伸ばせるし、ASEAN、インドももっと伸ばせる」。アシックスの尾山基社長(64)はこう話し、プーマ超えの先を見据える。
飛躍のきっかけは「オニツカタイガー」だ。現地法人が1999年度に赤字を出し苦戦していた欧州で02年、昔のブランドのシューズを本格的に復活させた。決めたのは現地法人で社長をしていた尾山氏。社内でも、創業者の名を冠した60~70年代のシューズを復活させたい、という声があがっていた。
当時、欧州のファッション業界では、レトロなデザインが流行し始めていた。オニツカは底が薄く、デザインや色づかいがシンプルで、まさにもってこい。尾山氏は、オニツカを高級ブティックで売られるようなブランドにしようと、天然皮革を使うなど素材や質にこだわり、イタリアやフランスの高級店だけで売った。
そうしているうちに、世界中のスクリーンに登場した。03年に公開されたハリウッド映画「キル・ビル」で、主役のユマ・サーマンが黄色いオニツカをはいてアクションシーンを演じたのだ。尾山氏は「ファッショナブルなイメージが浸透した」と振り返る。
欧州でのオニツカの売り上げは07年度、全体の1割を占めるまでになった。欧州でのもうけは、日本国内の2倍以上にあたる123億円になった。
出典:ヤフーニュースより 出典:朝日新聞デジタル
オニツカタイガーとは
規模
鬼塚喜八郎が1949年に神戸でスタートさせ、今では日本を代表する世界的スポーツブランドとなり、ASICS【アシックス】としては年間売上高が連結で2243億9500万円、単独で708億7800万円、従業員数は連結で5375人、単独で1330人の大企業です。
2006年3月期での連結売上げ構成は、スポーツ用スニーカーが66%、ウェアが24%、その他が10%です。
ASICS【アシックス】全体としてのブランド知名度は、NIKE【ナイキ】やADIDAS【アディダス】などのトップブランドと比べるとやや劣りますが、Onitsuka Tiger【オニツカタイガー】としてのブランド知名度はヨーロッパの場合非常に人気が高く、レトロスニーカーとして確固たる地位を築いています。
Onitsuka Tiger【オニツカタイガー】の概要
当初バスケットボール専用のスニーカーを製造販売する会社としてスタートした鬼塚商会は、その後様々なスポーツ用のスニーカーの製造に着手し、オリンピック日本選手団に採用されました。
今では約11店舗の直営店を国内に構えるタウンユース用のファッションスニーカーブランドとして人気です。Onitsuka Tiger【オニツカタイガー】の経営理念は「スポーツを通じて青少年の健全な育成を」。
人気スニーカーブランドOnitsuka Tiger【オニツカタイガー】の歴史
鬼塚喜八郎が興したスニーカー製造の鬼塚株式会社
当時、最も製造が難しいと言われていたバスケットボール用のスニーカーの製造方法を確立することで、さまざまなスニーカーの製造が可能となると考えた鬼塚喜八郎の発想で開発をスタートさせ、1949年にバスケットボール専用のスニーカーを製造販売する会社としてスタートした鬼塚商会は、その年の9月に法人組織である鬼塚株式会社となり、選手や監督の意見を取り入れスニーカーを改良。
1953年からマラソン用スニーカーの開発を開始し、1956年にメルボルンオリンピックの日本選手団から、トレーニング用スニーカーとして正式に採用された事でスポーツ界での知名度が一気に上昇しました。
オリンピックを連覇したアベベが認めたオニツカタイガーのスニーカー
1961年には後にオリンピックのマラソン種目で連覇を達成する事になる裸足のランナー"アベベ・ビキラ"が来日。アベベ・ビキラが宿泊するホテルに表敬訪問を行い「裸足と同じくらい軽い靴を提供するから試してくれ」と説得。
アベベはOnitsuka Tiger【オニツカタイガー】のスニーカーを履いて優勝するというエピソードで世界が注目し、日本人の選手だけでなく、海外の一流アスリート達からも支持を得てNIKE【ナイキ】の前身であったBRSが、Onitsuka Tiger【オニツカタイガー】の品質の高さと価格の安さに感銘し輸入販売代理業務を開始しました。
Onitsuka Tiger【オニツカタイガー】とNIKE【ナイキ】の関係
Onitsuka Tiger【オニツカタイガー】と当時のBRS【ブルーリボンスポーツ】は極めて良好な関係で、業務提携によるスニーカーの輸出は大成功となりアメリカの西海岸地域を中心に好調に売上げました。
しかし共同マーケティング会社を設立するまえにBRSは事前通知なく製造を他の会社に変更し、契約書の盲点を突き、商品名の使用に関してOnitsuka Tiger【オニツカタイガー】を告訴し、和解金として2億円近い金額の支払いを強いられる事となりました。
運動靴からファッションスニーカーブランドへと変貌。
動靴をファションブランドへとスイッチした戦略が、欧米で大ヒットしているもっとも大きな理由です。靴自体は一般的な商品のようですが
WEBサイトをみていくと、モデルとのコラボなど、他業種とのコラレーションを実現させ、ブランディング構築がうまくいっています。
日本の選手だけではなく、海外の一流選手にも愛された60〜'80年代の名品を忠実にリメイクしたそのフォルムは欧米でレトロクラシックスニーカーの一大ムーブメントを巻き起こしました。
出典オニツカタイガー ONITSUKA TIGER ミタスニーカーズ|ナイキ・ニューバランス スニーカー 通販
オニツカタイガー人気看板モデル
TIGER CORSAIR
1968年当時、オニツカはアメリカ市場に向けて「マラップ」や「リンバーアップ」などを販売していた。
アメリカの販売代理店を担っていたのが、ブルーリボンスポーツ社(ナイキ社の前身)で、クッション性の不足を指摘され開発したのが「CORTEZ」(のちの「TIGER CORSAIR」)であった。
ソールは従来より8ミリプラスされた24ミリとなり、それまでになかった厚さとなったが、そこに70年代のジョギングブームが到来する。
アメリカで起こったブームは日本へも飛び火し、「タイガーコルセア」は日本人のライフスタイルの変化に大きな影響を与えるのと同時に、スポーツアイテムからファッションアイテムとして日常に履くまでに浸透した。
オニツカタイガーの魅力は?
豊富なカラーバリエーションにくわえ、限定色もよく販売され、ついつい揃えたくなってしまう
日本生まれのブランドが海外で成功している理由は、履き心地とファッション性です。
アメリカから始まったオニツカタイガーブームですが、今後、ASEANでも大きく市場が拡大す
ることが予想されます。インドネシアやタイの若者の多くは、派手はデザインを高く評価しています。
ごくらく株式会社は、日本企業のASEAN進出のサポートを行っています。WEBサイトの翻訳
から、インサイトマーケティングまで一括してサポート致します。